人に会うとHPではなくMPが減っちゃう。
2024年のエッセイを実験的に配信してみてます。いま思うとめちゃくちゃ悩んでたなぁっていうのもありつつ、でもだからこそ届くものもあるかなと。
息子と公園に行って、ひとしきり鬼ごっこをやったあと、疲れて休憩の旨を申し出ると、彼は公園のど真ん中に行って「ぼくとあそんでくれるひとー!」と大きい声を出しながら公園をうろうろし始めた。そのうち少し年上のお兄さんお姉さんがやってるサッカーに混ぜてもらい、何かを主張したのち鬼ごっこへと至る。彼の自己肯定感の高さは目を見張るものがある。あれは僕はできない。邪険にされて、来るなよーとか言われてるのを見ると親としては口出ししたくなるけどあまり気にしてないようだ。
いつからだろう、人が怖くなったのは。
小学生の頃、クラスの横断も公園での声掛けも、何も気負わずできた。
中学になり、隣のクラスは別の国になり、新しく話しかけることが嘲笑の対象になり、安全な場で精一杯虚勢を張るようになった。仲良かった友達も、グループが違えば話すことはなくなり、クラス替えごとに再編される緻密な組織を組成する。
大人になった今、当時のような繊細な心の機微による交流の難しさではなく、シンプルにめんどくさいというおよそ枯れ果てた老人のような思考から人との交流を断絶しているふしがある。もちろん話して楽しい相手もいるし、多くの人と話す必要があってその場を楽しく過ごす術も持っている。だけどどうしても消耗する。その消耗は体力ではない。おそらくMP的な何かだ。いい人と話しても、いやな人と話しても等しく消耗している何かがある。
ある程度年齢を重ねると、呼ばれて参加する会が多くなる。それ自体はありがたいことだし、呼んでもらった方が立ち振る舞いもわかるから助かる。だけど、呼ばれる会が増えてくるとMPは減る。つまり、MPが余ってて「んーなんか誰かに会いたいな!」みたいな気持ちがびっくりするくらいなくなる。誰にも呼ばれていないなら、ちょっくらその間にMP回復しとくかと好んで一人になりたくなる。この間とあるイベントの話になったときに「んーでも呼ばれてないしな」って思わず言ってしまって愕然とした。これ呼ばれないと行かない、俺に声かかかってないっていう老害の方と一緒や…と。
ただ正確にいうと違って、行きたい!という気持ちを持ちつつ、誘われないと行かない!と駄々こねるのが老害だとすると、行きたい!って気持ちがない(というか、MP回復途中により浮かぶ時期ではない)ということ。MP全開時は、呼ばれてないものにも興味があれば積極的に参加してる。そこがまだあって安心したものだ。
これはさらに自分たちでイベントを開催すると複雑になってくる。
イベントに人を呼ぶということは、もちろんそこにきたらその人にも楽しんでもらえると思ってるからなんだけど、とはいえ労力(HPとMP)を使ってきてもらう以上、次回来てくれた方々のイベントには参加することになる。もちろんいやなわけではない。むしろ楽しい。だけどそれとは別にMPはやはり減る。これが3人くらいの持ち回りなら特段問題は生まれないけど、開催者の友達が50人とかいると週1くらい全国のどこかでイベントが開催され、そこに招待されることになっていく。楽しいけど疲れるのだ(だからと言って呼ばれたくないわけではない)。
MP回復の最も良い手段が人と会わないことだと思って、コワーキングスペースやオフィスでの作業を一切やめた。いや正確にいうと一切ではないけど、デフォを一人になれるようにした。岡山駅前の3万円台のアパートの一室を借り、そこを作業場にしている。そこは会社の登記もなにもしていないから、まず郵便ポストの確認が不要である。たまにAmazonでものを買うことはあるけど、それはその日だけ受け取るから本当にポストを見ない。これがめちゃくちゃ幸せ。あそこで何%かの意思決定を強いられてる(捨てる捨てないとか、対応しなきゃとか)。
さらに誰にも正確な場所を伝えてないから、話しかけられることがない。絶対にない。これもしかしても僕に話しかけてる?がない。そこで集中して大量の文章を書いてたりするから体力的な、HP的な消耗はあるけどMPは一切減らない。ただただ回復される。コンビニに行って「袋は?」「大丈夫です」のこの「大丈夫です」が唯一の発話の日もあるくらい。
そうすると本当に回復するから、人に会いたくなる。MPが回復した証拠である。このアパートを借りるまでの数年間、人に自分から会いたいなんて思ったことがなかったから、自分にとってかなり衝撃。すごい場所を作ってしまった。宿屋。ないしは主人公の実家。
さらに最近では凄まじいハックがもう一つ生まれた。
映像メディアである。交流会の消耗の1つは、手持ち無沙汰にあった。人と話すの疲れるくせに、ひとりぼっちだと思われたくないという自意識から、「今話してないのは食べてるからだから」「人探してるからだから」「電話が来てるからだから」と役割を作ってその場を凌いでいた僕にとって、映像を撮るという大義名分は最高に使える役割だった。
また話しかける理由をつくるなんて高難易度のことできるわけなく、誰かからの紹介を待っていた僕にとって、「すいません、少しお話聞かせていただいていいですか?」からカメラを向ける映像メディアは最高である。こちらが有名かどうかに関わらず、メディアというだけで人はちゃんと対応してくれる。
これら最高の武器を揃えた今、「好きな人に会えてるか?」ないしは「楽しみなイベントに参加してるか?」はあらためて考えてみたいところ。
好きな人に会うは、結構できている気がする。昔の友達や何年も会ってないけど気が合う人を、日々の忙しさの中で忘れてしまわないように工夫もしてる(この工夫しないと忘れちゃう環境ってのもそれはそれでどうなの?ってのはありますが...)。
一方で「楽しみなイベント」って思えばそんなにない。というか全然ないかもしれない。もちろん求められてるから「ありがたいなぁ〜」って気持ちが乗っかって楽しみなイベントになってるものは多い(し、実際それは楽しみ)。だけど、僕個人が記号になって参加する「楽しみなイベント」というものは体験してないのかもしれない。野外ライブとか推しの握手会とかそういうやつが巷にはあると聞いているけど、そういうのにワクテカしたことはない。それがあるから生きられる、みたいなやつ。ほしいな。
とはいえ冨樫義博がトークショーとかやるならそれはもうまちがいなく「楽しみなイベント」だし、スラムダンクの映画化は魂揺れるレベルで楽しみだったから単純に今ないだけかもしれない。
人に会うのを心から楽しんでる人って、交流会とかに参加してもMP減らないんだろうか?ちょっとそういう人と話してみたい。話噛み合わなすぎて楽しそう。
ぼくが文章を書いてることを知っていちばん受ける相談は、「書いてて辛くなりました」「好きだったはずなのに書くことなくなってしまいました」みたいなものです。そういう人のために「孤独な執筆を終わらせるAI」つくりました。よければ。
