名前を言うのは憚られるんですが、一緒にファンドをやってる人がこんなことを言ってました。
「相手も成長してるかもしれないし、チャンスあげてもいいかもね」
これ、こちらがかなり立場が上で、相手が失敗した時ならまぁわかるんですよ。でもこの発言したのって、僕らがVCを立ち上げる時に回ったかなり年齢上の、数十億円後半のイグジット経験のある先輩起業家に、「いやいやお前ら全くファンドのこと分かってないやん。当然投資しないよ」と断られた人に対して言ってるんですよ。僕は衝撃でしたよ本当に。
僕はこの断られた時のことをもちろん覚えていて、ある種否定されているから「まだまだ精進しないとな。分かってもらえるように頑張ろ」みたいな感じだったんですよ。これはこれで、相手をただ否定するだけじゃなく、自己成長の機会にできてるって意味でなかなか良い思考のパターンかなと思ってました。でもたぶんそうじゃないんですよね。僕は変わらないとならないかもしれない。
「自分たちがやっていることが善いことである」
この前提は一緒なわけです。その上で、相手をただ否定することをしないということも一緒。で、ぼくは内側に向かって、自分でどうにかしようとした。一方彼は、自分は全く変わらず、相手の成長を願った。これ一見僕の方がちゃんとした人間ぽくみえるかもしれないですが、でもよくよく考えるとみんなで勝つ、みんなでうまくいく、みたいな視点で見た時、彼の方がうまくいく気がしません?
彼は自分の成長に何も期待してないのかも知れないですね。能力低いままでいいし、できないことわからないことたくさんあるままでいい。でも、一緒にやる人たちはそうじゃない。こっちが善いことやっていたら、それがわかる人がいる、もしくはそれがわかるようになる人がいる。そういうふうに世界を見ている。
僕はまだ自分でなんとかできると思っているんでしょうね。ある意味、いろんなものを勝ち取ってきたと思っているから。ここから抜けるのか〜、できるかなぁぁああ。。
そして、彼見てて一番思うのは、
生きやすそ〜!!!!!!
です。羨ましささえある。上記の起業家の発言を、自己否定で凹む、自己成長の機会にする、なんて簡単に飛び越して、「相手の成長の機会にする」って捉えられるのやばい。相当生きやすい。
彼の視点で見直した時、世界ってガラッと姿を変えるかも知れない。
ぼくが文章を書いてることを知っていちばん受ける相談は、「書いてて辛くなりました」「好きだったはずなのに書くことなくなってしまいました」みたいなものです。そういう人のために「孤独な執筆を終わらせるAI」つくりました。よければ。
