幸せって10回試すよりも100回試す方が近づくってわかった。
2024年のエッセイを実験的に配信してみてます。いま思うとめちゃくちゃ悩んでたなぁっていうのもありつつ、でもだからこそ届くものもあるかなと。
軽井沢に行った。とても気持ちのいい木々と影。歩いてるだけで幸せな気持ちになる空気。それは、うん、集まりますねここ。すごく良い。
ちょっとよくわからないくらいの豪邸がたくさんあるけど、よくよく聞くと、最初からお金持ちの人もいたけど、たまたまそこの土地を持っていたからって人も多くいる。お金ってすごく試行回数に依存するって思った。
「あ、なんかこれおもしろそう」「これやってみたらどうなるだろう?」そんな考えで手を出して、その多くが失敗する。だけど、10回試せばもしかしたら1回くらい。100回試せば、1000回試せば、10000回試せば…。そういう世界。思い返してみれば、そのことに無意識に気が付いてたのは文章を書くようになってからかもしれない。いっぱい書いて、そのほとんどがダメで、でもたまになんかうまくいって、それの要因考えて、、みたいなことをやるうちにある意味での成功みたいなものもゲットした。
文章以外だと、インスタってちょっとよくわかんないけど、おもしろそうだから投稿してみようかと始めてみて、ちょっとずつこだわって、リサーチして、真似して、真似しきれなくなって、、、みたいなことを繰り返すうちに気がついたら本の商業出版に行き着いた。最初予想もしてなかったからとてもおもしろい。
他にも、なんかこの人と話すのおもしろいなーっと良く話したり、飲んだりしてて、そこにゲスト呼んだらどうなるんだろう?って試してみて、音声は?とポッドキャストやってみて、Vtuberやって、今はTVクオリティの映像メディアをやっている。
もちろんこんなことに全くなっていない数々の失敗事例があり、たとえば、クリエイターの支援のうちサブスク個別相談。これは完璧に失敗しました。相談乗ることとか、問題を紐解いて課題にして解決の道筋を見つけるとかは嫌いじゃないんですが、いかんせん「常に契約している」というのがきつかった。頭のどこかに常にいる感じは、一人が好きなぼくとの相性が最悪でした。「あー、やばい、今月あの人に何もできていない」って月末に思う日々はとても嫌。義務あるサブスクやりたくない。つらい。どれだけお金になってもやらない。同様に、顧問弁護士もまーむいてなかった。スポットで頑張るから、顧問辞めさせてほしいって何度も。。
で、そんな失敗を経て辿り着いてるのが、「義務ないサブスク」。わかりやすくいうと、このnoteにもある「メンバーシップ」。この「推しプラン」は確かにサブスクなんだけど、一切何の約束もしていないサブスク。義務なし。だから、「あぁ、今月は、、」みたいなのもない。超良い。逆に定期的に推してくれてる人たちを見に行っては、「うう、ありがたい、、」って感動して幸せな気持ちになる。完全な逆転。気がついたら、なんらメリットないこちらのメンバーシップに50人以上の人がお金を払ってくれてる。すごいことだこれは。あんなに嫌だったサブスクが成立してる。
これも最初は義務あるサブスクを試してみたからなんじゃないかなーって思う。やってみて、嫌すぎて、謝って辞めて、何が嫌だったかを考えて、で、今は嫌じゃない形に落ち着いた。こうやって失敗→成功にしていると、とても生きやすくなる。
というか、これ思っている以上にみんな知らないんですが、「失敗は誰も覚えてない」です。まじで。ほんとに覚えてない。恥ずかしそうにしているのは自分だけで、周りは「そんなことあったっけ?」です。ほぼ確実に。100回以上いろんな失敗してますが、マジで誰も覚えてない。それこそニュースになったようなものもありますが、3ヶ月で50%が、1年で90%が、3年経つとほぼほぼ100%だれも覚えてません。これ嘘だと思うならやってみてほしい。ビビるくらいみんな忘れるから。わー興味なかったんだー、って思います。
なので、期待値的な話をすると、絶対に1以上になるギャンブルをやりつづけてることになります。試行は丸得です。絶対やった方がいい。失敗含めてコスパ、タイパ最強です。ぜひお試しを。
このnoteだって、やりたくてやってるというのは大前提なんですが、人によっては「また変なことしてる」って思ってるだろうし、「目立ちやがって」「自意識過剰おつ」的なのもあるわけです。でもそんな人たちは3ヶ月で完全に僕のことを頭から消して、また他の人にそういうことを言ってたりするんですよ。
一方でその頃の僕はどうなってるかというと、4000字くらいのnoteを100本とか書いてるわけです。40万字です。文庫本4、5冊分の文字を綴り終わってるんです。それが実際に本になるか、それが売れるか、とかそういうのは全くわからないんですが、これをしていなかったら可能性はゼロ。それだけは確かです。そして失敗は忘れられることから、期待値は1を超え、やり得。社会的な評価とか成功を求めて書いてるわけじゃないですが、書いた結果そうなったら、おそらく周りはこのnoteの執筆を忙しい中時間をやりくりし、粘り強く努力して辿り着いた素晴らしいことのように扱ってくれます。
どうしても評価はあとになります。
あ、でもこれは書きながら思ったんですが、楽しいことをやる→失敗の烙印を押される→成功する→評価されるという順番になるので、まーあらゆることは一回「失敗の烙印を押される」を挟みますね。これは避けられない。その後成功してもしなくても何かやったら「失敗」に一度はなるというのはおもしろいですね。
ただちょっと違う種類の失敗もあるかなと。
起業とかは「失敗がつきものだ!」と一番言われるから、起業家志望の人たちはすごい人から言われたその言葉を受け「そういうもんかな〜?」と失敗に突っ走ります。それでうまく行く人もいるから一概には言えないんですが、なんかこの種類の失敗はちょっと違う可能性もあるなって思ってて、というのも、試すのは即死しないことがいいと思うわけです。健全な試行は、落ちたら死ぬ崖のそばではできないわけです。地上で4メートルの幅跳びできても、落ちたら死ぬ崖の狭間を飛べないわけです。
だから自分にとっての即死、それはだいたい心と体とお金なんですが、にならない試行をやった方がいいのになって思います。
このプロダクトが当たらないと死ぬってチャレンジは、プロダクトが当たるかどうか完成前のプロモーション動画で試行することで避けられます。逆にいうと「失敗はつきものだ」は、このプロモーション動画の失敗の方を指してて、即死の失敗をしないようにするメッセージであるとも言えるわけです。
だからこの文脈で正確にいうと「失敗はつきものだ」ではなく「試行しようね」です。試行の失敗はただのプロセスなんで。
今、毎日1つ「新しいことを試してみる」ってのをやってます。
Slackに「daily-new」ってチャンネル作ってそこにポンポンと投げていってる。粒度はバラバラ。たとえば、「朝焼肉」「通勤ルート変え」「歩いて飲み会に行く」「Kindleインディーズ漫画」みたいなレベルです。ちょいちょいやったらメモしてる。それが何になるの?って言われるとわかんないけど、試すこと自体は楽しくて、何にも何なくてもいい。あ、でも、たとえば「歩いて飲み会に行く」→「1日1万歩歩く」→「新しい靴買う」→「毎日体重測る」→「リフティングの動画見る」→「ボール買う」→「公園で試す」→「フットサルで試す」みたいになっていって、週1のフットサルと、毎日の1万歩とで、体重落ちて、体力付きました。ただ試し始めただけなのに、いろんなことが動いてて楽しいです。
あ、ちなみに「試す」は「やめる」も含みます。
「PC持ち歩くのやめる」とか「ワインをやめる」とかですね。それはそれで試してるので。
1ヶ月くらい経って試したことの経過をみると思っている以上に自分の生活を変えてて驚くのでおすすめです。
もしかしたら試行回数の数がそのまま、幸福の数なのかもしれないですね。
ぼくが文章を書いてることを知っていちばん受ける相談は、「書いてて辛くなりました」「好きだったはずなのに書くことなくなってしまいました」みたいなものです。そういう人のために「孤独な執筆を終わらせるAI」つくりました。よければ。
